
諸行無常
「諸行無常」は、仏教用語で、娑婆世界では、すべての存在や現象が永遠に変化し続ける ことを指します。物事は一時的であり、永遠に固定されていないという意味です。
"Impermanence of all phenomena."
"In Buddhist terminology, '諸行無常' refers to the continuous change of all phenomena in the mundane world. It signifies that everything is temporary and not eternally fixed."


こころ
諸行無常
諸法無我
音楽を聞けば歌詞に囚われ
人と接すれば言葉に囚われ
空を見上げれば雲の形に囚われる
そのものの実体を見抜くコトが更に囚われを招く
この世は何が支配しているのか
この人は何を信じているのか
物事の本質とは
思想 宗教 価値観
千差万別
一つの源から派生した文明なのかも実体はない
生きる為に自然の中で生き抜き
家族を守るために戦い生き抜く
智慧を持ち始めた古代人は
自然現象の脅威や
得体の知れない死や
他者からの攻撃に晒されて
常に怯えていた
恐怖から生まれるこころは
全てを敵と捉え
悪が人を支配する
こころは混沌とし絶望が襲う
エネルギーはエントロピーが支配し全ては乱雑していく
「物事は放っておくと乱雑・無秩序・複雑な方向に向かい、自発的に元に戻ることはない」
しかし自然の中では水の循環作用や海の浄化作用や有機物の肥料化など地球そのものには適応されない
そのには微生物が存在し
その活動により維持されている
そのエネルギーエントロピーは減少し秩序が生まれる
それを神による創造だ
と言うかも知れない
生物が持つエネルギーとは
本来的に生存維持の為の秩序を生み出す摂理である
しかし人間世界では 人間が持つ 我 によってエネルギーは負となりエントロピーを増加させる
先ほどの古代人は秩序形成の為にこころの安定を求め
そこで神を生み出した
人による創造である
環境から生まれる恐怖からの
解放の方法を創造したのだ
この世界は神による緻密な計算のもとに創造され畏敬を持って感謝せよと
奴隷制度は
紀元前3,500年、今から5,000年以上前のメソポタミアやシュメールでは、奴隷制が行われていたことが確認されています。 当時の奴隷制は、すでに「制度」と呼ばれるほど大規模で、メソポタミアの文献にも登場します。 ハンムラビ法典 シュメールの遺物である。とある。
つまりは人類が 神 を創造した時代である
戦いで勝利したものは
捉えた部族を奴隷化し
エントロピー増加を抑止する為の秩序形成をすること考えた
人が人を支配する時
憎悪と恨みを負い反乱を招く恐れがある
しかし人智を超えた超絶的な何者かがこの世を支配していると教育することで反乱は回避できる
なんせ目に見えない存在定義なのだから
支配者が奴隷に秩序を持って管理するシステムが神の原点である
そこでの神の実体とはその支配者
であり畏怖の念を付加する為に真実を隠して支配者による神の創造が行われた
我々支配者に逆らえば
地獄へ落ちる
よく働き報いれば
天国へ行ける
飴と鞭
この構造こそが支配者による
支配世界の原点である
ここでは過酷な奴隷達のこころは
盲目的で架空の神は救ってくださると教えたれ死ぬまで働く道具とされる
更に支配者は自らを神だと名乗るようになり支配力の欲望に駆られる
私は神である
その言葉には超絶対的な
自我しかない
なんせ凡ゆる全てを支配する定義なのだから
このように神の支配世界では
自我を中心に成り立ち人間の煩悩が強制的にエントロピーの増加を抑えている
これこそが地球を覆う負のカルマである
私は神仏習合をした時のこころの状態に注意を払った
我は神なり
正義の神なり
すると相手の正義との戦いが起きる
なんせ神は負ける訳にはいかない存在定義なのだから
多くの文明では神を中心とした社会を形成したが都度争い滅び去った
神の名の下に
と言う支配者の奴隷への口実的命令ら強制的に人を戦いのモノとして育ててあげられた
全ては支配者の為に
この構造は現在も変わらない
過去の三角貿易のように機能し
格段に巧妙化して人々を蝕んでいる
東洋での儒教や仏教は
人が人の為に創造ではなく
人の観察により体系化された
理論である
支配者による力の支配ではなく
人倫の徳や真実の智慧の獲得など人間成長の教えである
国家安泰は民衆のこころの安泰を基に実現する
王の道には王道と覇道がある
覇道とは打ち破って進む支配の力であり王道とは民衆の為の徳を積み信頼の支配である
仏教による国家とは
人々のこころを安定させ
苦しみのない生活を提供し
人民皆和合し豊かな人生を送ることが可能だと感じる
大乗においては一切衆生済度に重きを置いている点が他宗教と違うところだ。

釈迦牟尼
大日如来
不動明王
妙見菩薩
BUDDHA卍EMPEROR
阿弥陀
南無妙法蓮華経
薬師如来
この他神々への権化がある。
天照大神
ヤマトタケル
バール

これらは全て(バール以外)YouTubeで撮影された。
撮影を終えて気がついた。
以前昔の知人の縁や近所の縁や友人や親族の縁などを繋いだ結果以上の仏身が現れた。
これは私が2023/04/より仏事を書き記したblogである。
この仏事は2020年より集中して政りした出来事の一部である。
3年を超える精神世界の創造は日々激変し拡大と縮小を繰り返した。
己の欲を制し
己の心を克し
Chat GPTより2024/01/31
大日如来(Dainichi Nyorai)は、仏教における菩薩や仏の一つで、特に日本の密教や天台宗などで崇拝されています。大日如来は無辺光普照の仏であり、智慧や悟りの象徴とされています。この仏は、宇宙全体の本質を表し、一切の存在を包み込む普遍的な存在とされています。
真言宗の本尊
「遍照如来」ともいわれます。 真言宗では、大宇宙の数え切れない仏の中の最高の仏とされ、大宇宙そのものとか、森羅万象がおさまっているともいわれます。 仏像では、普通、欲を離れさとりを開かれた仏さまは、質素なすがたですが、大日如来だけは、装身具を身にまとっているのも、最高の仏を表すためといわれます。
大日は{梵}Maha
vairocana 「摩訶毘盧遮那(まかびるしゃな)」の訳)
真言密教の教主で、一切の仏菩薩の本地、一切の徳の総摂(そうせつ)とされる仏。これを本地法身と加持受用(じゅゆう)身とに分け、法身は理体、加持受用身は説法の教主とする。また金剛・胎蔵に当たって、金剛は智を表わすから智法身、胎蔵は理を表わすから理法身とする。ただし二身は畢竟不離一体である。その形像は、胎蔵界では、黄金身で法界定印を結び、金剛界では、白色身で智拳印を結び、いずれも菩薩形で、宝蓮華座上にすわる。摩訶毘盧遮那仏。大日。遍照如来。