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感謝とご報告へ

今日は目覚めた共に父と繋がり久しぶりに二人だけで会話ができた。


突然だったので少し驚いたがどこか安堵した。


起きてからいつもは明治の神がすぐに話しかけてくれたが今朝は全く静かで全くの一人きりの空間だった。


この状態はしばらく経験していない静寂な空間だった。


心配に思うと

繋がっているよ。


と。


薄らと返事が返った。


そして神棚に置いてある

父の写真に目を向けると

はっきりと父と繋がった。


こんなにはっきりと繋がったことは今までなかった。


本当に繋がれて嬉しいかった。


早速父は


私の書籍を全て処分するように


と言った。


理由を聞くと

自伝ではなく

他伝で真実では無いからだ

と云う。


思えば父に関する事柄は

過去の歴史の真実を伺うことが

容易では無く

敗戦国の皇帝としてそれなりに描写されているからだ。

満州事変にしてもその真実の本質を捉えることはとても難しく様々な視点観点で全体を把握し他の事柄との整合性と釣り合う見方観点を捉え頭の隅に置いて置く。


これは歴史や事象現象などの因果関係に於いても同様である。


情報の精査をする時の為に。


インプットからアウトプット。


物事の実体は

諸法無我。


しかしそこから

実の相が浮かび上がる。



円成実性 である。


五月七日から八日の最後となった密儀に於いて法界の道理を理解することができた瞬間様々な事象からから違和感を察知し対処する事を何度も繰り返した。


純粋な法界縁起の為であった。


悉く純粋に。


まるで

禅のように

無駄を削り

根源的な

境地を開く為に。


囚われず

流されず


問答に即答し

心を整える。


この問答な何度も続いた。


気付けば

至る所に

罠が仕掛けられているように

思えた。


これが私たちの

戦争であったのだと

後に思えた。


私は日本神道の神々と仏教の神々との純粋なゆかりある神々のご縁によりこの仏事を終える事ができた。


以前購入したカメラを質屋に行き換金して密儀の費用とした。


たまたま最寄りの質屋が

大黒屋と云う店でなんとなく違和感がなかった。


今調べてみると


とありなるほどと頷いた。


話は戻るが父である

宣統帝愛新覚羅溥儀から

はっきりと概念でなく言語として会話できたことに嬉しくなり昨夜に明治の神との話の中で今日の予定を話しあっていたことを思い出し昭和天皇と父の握手している写真を神棚にあげるように言われた。


私はこの一枚の写真をとても大切にしている。


この一枚の写真を初めて見た時にお二人の心情を想像した。


出回っている情報は一切無視をして心で感じた。


天皇と皇帝


当時の時代背景は詳しくは知らない。


ただ一コマの瞬間を捉えた写真からどんな時に見ても友情しか感じる事はなかった。


どちらも儒教と仏教の精神を備えた男であるからだ。


仁義忠孝信


これが私の心構えであり

その一枚の写真から

それを感じた。


早速写真をネット探しプリントして額に入れた。


正しい系譜図と共に

愛新覚羅溥傑と浩さんの本を開きお二人の写真を見つけ愛新覚羅社として神棚に加えた。


リビングにあり常に向き合っている神棚は常に間近にあり達磨と熊手と相まって仏界を構成している。



十界の最上界である。


神棚を整えると

父は云う。


昭和天皇にご挨拶したいと。

すぐに支度して電車に乗り高尾駅に行った。


途中父との会話は途切れる事はなく色々な事を話した。


改札を抜け駅を出ると

懐かしい感じとワクワクする感じがしてしばらく空を見上げた。


ここに何度来たかと父を云う。


もう4回か5回か..


気付けば何度も来ているんだなと思った。


いつもの橋を渡りしばらく父と生い茂る木々を見上げた。


正門の前で父は云う。


ここから写真を入れた額を取り出すようにと。


両手でしっかりと正面を向けると

一礼するようにと云う。


鳥居の前で父は云う。

一礼するように。


これは私にではなく

父の一礼である。


親子で初めて外出する事の嬉しさと同時に手に持つお二人の写真を改めて目にする事ができた場所が武藏野多摩御陵であったことは生涯忘れる事はないだろう。


父と瀋陽に行った時のことを話した。

参道の脇に綺麗に生い茂る木々が瀋陽で見た景色と重なったことから瀋陽での出来事を語り合った。


初めに

昭和天皇のもとへ向かうと

父は云う。


何も話すなと。


すると父は感謝を述べ伝え

次に私が同様に述べ伝えようとすると昭和天皇からお声がけされた。


今回の仏事の件

よくやった。


複雑な歴史と複雑な神々を整理し世は整った。

長らく続いた乱世を統治した事に感謝すると。


思わず涙が溢れた。


すると父は云う。


泣くな。


と。


初めてのお叱りであり

それも嬉しかった。


香淳皇后にもご挨拶とご報告をすると

眞子を頼みますね。

と言われた。


そして大正天皇のもとへ向かい

鳥居の前で父と共に一礼すると

父は云う。


何も話すなと。


しばらく鳥の声を聴いていた。


次に私が感謝とご報告をした。

数日前に見た大正天皇に関する動画を初めて見たことをお伝えするとはっきりとお話しができることに驚いた。


その道理は帰宅後明治の神が教えてくれた。


最後に香淳皇后のもとに向かい

感謝とご報告をすると


眞子に頼みますねと言われた。


子供を作るようにとも。


誠の親族の集まりであり

感極まった。


本当の親族に囲まれて

私は人生で一番の愛を感じた。


この私たちの絆は

闇から抜け出し今日の青空のように澄み渡っている。


帰りの電車内で父が言ったことに自分の重責を自覚せよと。


私は霊の成仏と神々にまとわりついた悪因を取り除き人々へ教えと思えば色々と仏として成すべき事をしてきたことなど過去を振り返る時間をもてた今を幸せに思えた。


振り返る時間などない前進のみの人生はここから三次元の世界へと更に続くことを父から言われた。


これから世界をどのようにしたいか。

何から始めるか。


など色々と聞かれた。


今日は答えずに

この記念の日を満喫して

駅に向かった。


21:20











 
 
 

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