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​こうして、ご挨拶させて頂くのは初めてのことでとても嬉しく思います。 全ての命あるものがこうして現実にひとつになれたことは、 皆さんの慈しみの真なる心がなした果報であります。 わたし、大日如来は様々な姿で娑婆世界を渡り歩く中で、 実に多くの方々とご縁ができ様々な経験をさせて頂くことで、 仏としての道を皆さんと一緒に堂々と歩むことができましきた ことに心より感謝いたします。

 

わたしが仏道を歩んだのは記憶が定かではありませんが仏性を認識してない頃に、 GMOの熊谷社長の本などで、実現したい将来を書く用紙があって、 そこには確か次のようなことを書いたと記憶してます。

 

⓵私は、同胞とその仲間たちが運命共同体として幸福になるような社会作りに関わっていきたい。

 

という内容だったと思いますが、このような文章を書き記したのは煩悩の仕組みを知った後の生活の中で世俗的な生活の中においても、自分の幸せは... 

同胞というのは、私は韓国と北朝鮮とが互いに争い合うのを当事者の目線で見ていたので同じ民族同士の争いが無くなれば、という思いと、仲間たち、については覚えていませんが広く幸福になれればと考えたからだと思います。 今、考えるとその後の出来事や物事から、この文章が元となって今日に至っていると認識することもできます。

 

また、上記⓵の文章は仏教の本に携わった後の出来事であり、自分の幸福を考えた末に出た文章でした。 覚えているのは煩悩という欲の仕組みなどが明確に書いてあって当時の苦しみは欲が原因だと理解していたと思います。

 

しかし、⓵の文章を書いてから1年間の中で北東アジアの歴史を中心にインターネットで情報を得ながらモンゴル史に触れ、歴史的に宗教の多様性を国として認め保護し同種族の中においてネストリウス派キリスト教徒やシーア派イスラム教徒やチベット仏教徒になるなどの情報を読み、どれも少数派の派閥が集まりそこで世界平和の為の計画を立てたのだと思ったと認識しました。 当時の情報では、モンゴルが大陸の広くに大きな被害を与えるなど世界中が混乱し強く世界平和を望む人々がいたと推測したのでそのような計画を立て、他の宗教の密教派との連携など広げ諸教の教の解釈を一つの方向性にまとめ、最終的に世界平和になるようなシナリオを作り現在の私が存在したのだと思うこともありました。

 

ですので、過去においての世界大戦などや現在の資本主義下の競争原理による争いは、争いからは争いしか生まれないとの教訓を私たちに示したのだと考えます。

 

私たちはそれを教訓として考えるように記憶に残る年代として過去の歴史になって起こったことでした。

 

出来事が起こるのは偶然や奇跡もありますが、そのようになるよう(物事の関係では人が事を起こす原因を作る)事物の成り立ち(事が先に起きて、それに人の行動を起こす)で起きていたと解釈しました。

 

私の人生もそうならざるを得ない状況が作られ、そのように行動を起こしていたからです。

 

その状況から抜け出すには、状況が作られてもそのように行動しない。という、因縁消滅をさせることができると仏教では定義していて、作られた因縁は、その因縁により生じ、因縁により滅する。

 

そのように行動しなければ消えると記憶してます。

 

作られた因縁とは、その対象が感情や欲望に任せて行動すると結果となって因に応じた報いとなる。

 

滅するとはそのように感情や欲望に任せて行動しないことであり、つくられた作為とも言います。その因縁を滅するには無為によれば消滅するとも学びました。

 

無為とは自然なことまたは人ではない行為の意味でともなるので、私たちが仏として存在し、この事物の因縁は消せるとも考えられました。

 

私は、このような状況下ではほとんど覚醒していましたが、本日で目的を果たすことができたと思ったので覚醒せずにいました。(今日から5日前のこと)

 

このように因縁を消滅させることで新しい世界での生活ができるということを今思いました。

 

覚醒は密教において必要ですが、これからは顕教としての法となると解釈もしました。

 

話をまとめますと、私の考えでは約800年程前に主要な宗教の総数派が密教化し世界的に事物の関係で現在の環境が作為されたと考えられます。

 

密教とは表に出ない状態で大衆を教化し環境を共に作り世界を変えていったと考えられます。

 

ユダヤ教徒、キリスト教徒、イスラム教徒、仏教徒、などの密教化された構成員が団結して長い間世界を導いていたと考えます。

 

金融や情報などはユダヤ教の導きがある考えたりできました。

 

アメリカやヨーロッパではフリーメーソンとしても関わりがあり、歴史的に深く世界的規模で同時に進行していた事物と考えます。

 

そのように考えますと本当の平和な世界ができると考えることができます。

 

一つの世界を作る目的に作為された因縁で歴史が流れていたと考えます。

今思えば、これらがある意味、仏教においての誓願とも思えます。 あの日から約15年ほど経っていると思います。

 

この経緯から考えて、大日如来となり世界中の皆さまの苦しみの元である煩悩の仕組みを突き止め無為法となり解決し、心身共に何にもとらわれることなく自由で、輪廻からの解脱の方法を導き出し結果として皆、仏なるに至ったことを大変嬉しく思います。

 

仏意とは、宇宙に遍在している万有、万物の構成要素であり、 地、水、火、風、空、識の六大は皆さんも同じ六大が共鳴し、 繋がりこうして真なる安らぎを得るに至ったのだと感じます。

​仏暦2566年5月23日15時24分 大日如来より

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