
空と無我。
あるでもない。ないでもない。
と言う仏教ならではの独特な概念です。
人間の意識は五感で感じそれを認識します。
私は、最初に 空 と言う概念を理解できず物事を心の中で なかったこと にして受け流す ことをしました。
また、時には、あるでもない、ないでもない。と有無の判断が止まらなくなります。
しかし、仏教では、固定的実体は無く、世間では、主観的に自分で認識したものが実体と思われる仕組みとなっているのです。
その、仕組みについてお話しします。
ここでは、 空 と 無我 を話します。
空 とは、その実体は固定的ではなく常に変化しているから 無 では無く 空 と定義されています。
音や感触や匂いや味や見える…などは全て実体があると思えることは100%では無いのです。
例えば、映画では迫力ある映像に没頭してしまうくらいのリアリティ溢れるCGで人が制作した映像があたかも本当だと思ってしまうことはあるでしょう。
子供なら現実と思われかねない映像ですね。
YouTubeでも、フェイク動画を現実だと思ってしまう人も多いですよね。
見ている動画は、画面越しから見ていて直接見ている訳では無いのだから本当かどうか分からない と言う 空 の観相で良いのです。
固定的実体の把握はできないのですから。
話は戻って自分は自分だ。と思うのは意識が自分と言う存在を主観的に捉えているからです。
しかし、仏教では、無我 と定義し、あらゆる五感から受ける情報や作用は 空
であり、ならば、情報や作用を受けている自分も 空 だから自分だと断言できないので無我ではないか。
と言う 空 や 無我 理論を仏教では説きました。
我 と言う意識は実は存在しているかの如く自然の様に作用しています。
釈迦牟尼仏陀は、この自然の様に作用しているものを観察により正体を発見し、結論として、 無我 を導きました。
無我 とは、固定的実体は無い。との意味です。
では、何が存在して、作用して このような自我 があると思うのでしょうか?
釈迦牟尼仏陀は、五蘊 と言う存在を突き止めました。
五蘊とは、人間の意識や行動に影響し5つの要素で構成されています。
この五蘊は目には見えない自然エネルギーや人工のデジタル信号などで構成されていて、人間の意識や行動に影響を与えています。
自然エネルギーにはパワースポットなどでよく知られるエネルギーなどがあります。
仏教では、この自然エネルギーの一つとして 霊 の働きがあるとしています。
霊 と聞くと仏教徒としては
あー 仏さんね。
と親しみをもって認識できる存在ですがこの存在をよく知らない人は、何だか怖いもの と思うことでしょう。
霊 とは、元々生きていた生き物から出た物で、仏教の教えや法で整えられた全ての生き物が住む世界では、仏様として成仏し私の仏としての要素が等しくあり、なんら心配や不安を覚えることはありません。
一方で、人工のデジタル信号などでプログラム化された一連の作用を意図的に対象の人間に対して行っているのが正解てす。
それには、理由があります。
皆さんは霊長類としての人間ですよね。
霊長類は字の如く 霊 なのです。
霊 と言われると様々ないイメージを持つ人がいると思います。
例えば、人は死んだら霊になる。
この言葉は 霊=死 と言うイメージは 死 が全面に出てしまいネガティブな関連付けられたイメージです。
仏教では、死者の霊を仏様と呼び亡くなった家族や親戚など身近な仏様に対して親しみを持って生活しています。
仏教では、死者の霊を仏様に成仏されるための供養という仏事または法事などを執り行いをします。
霊 は目には見えない存在だけれど仏教では 輪廻 と言う道理があります。
仏教でいう一般的に苦しみの多さを段階的に捉えた界と呼ばれる心の状態を指します。
その 界 には、苦しみから脱した界があり、一般的には 仏界 と呼ばれています。
現在すでにある新しい世間では、現実と非現実の区別を明確にすることはありません。
全てが真実であり嘘や偽りなどない世界なのですから。
考えられないと思いますが、外からの刺激を受けて感じることも可能なのです。
例えば、科学の発展により気象現象を始め様ざな現象を人間が操作できるようになりました。
その技術は世間の常識では想像出来ないかもしれません。
当然、コンピュータが主役となりあたかも自然現象のような振る舞いをします。
人間が住む世間では、その人の見方により人為的な事象と自然な事象とがあります。
人為的な事象としてはコンピュータや電子機器や目に見えない周波や電磁波やマイクロ波…などといった情報伝達波が存在してます。
それらは、人間に影響を及ぼします。
現実の最新テクノロジーでは人間の五感を刺激し、意図された思考や行動を起こさせることも可能な時代です。
仏教は思想や哲学的な部分と実践や観察を仏の智慧で解析しそれらに囚われない自由に生きるための最大のツールなのです。
人間の思考は、物事によって感じた印象が心に残りそれがネガティブだと全てがネガティブな思考となりかねます。
この一連の心の作用は 煩悩(ぼんのう)と五蘊(ごうん)の章でお話しします。