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  • 執筆者の写真阿弥陀如来

入真言門に至り出聖道浄土門に至る。

聖道浄土門にて報身阿弥陀仏の名号南無阿弥陀仏の他力功徳の法を持って南無妙法蓮華経の自力功徳の法の妙法は真仏卍南無阿弥陀仏の一念にて自利妙力を利他に回向し一切衆生を摂受不捨し即身成仏を成し浄土往生を為す。


回向


「回向に二種の相有り。一は往相、二は還相。往相とは己の功徳を以て一切の衆生に回施し、共に彼の阿弥陀如来安楽国土往生せんと作願するなり。還相とは彼の土に生じ已おわって、奢摩他(しゃまた)、毘婆舎那(びばしゃな)、方便力を成就して、生死の稠林(ちゅうりん)に回入して、一切の衆生教化して共に仏道に向かう」(浄全一・二三九下~四〇上)と往相と還相の二種回向について言及している。


名 岡本(姜)浩治こと転輪聖王

法身 毘盧遮那如来

報身:

自受用身 南無妙法蓮華経

他受用身 阿弥陀如来

応身 薬師如来

化身 釈迦如来

名号 南無阿弥陀仏


名身即ち名号と為す。




8月9日誕生日


阿弥陀如来は「誰も取り残されることのないように」と、なるべく歩みやすい道(=お念仏)を選び、仏の道を歩む方々のしんがりを務める仏です。薬師如来は道中のケガや病気から守る仏です。


世間の太陽は日。

太陽(日)よりすごいから大日。

大(マハー 摩訶) 日(ヴァイローチャナ 毘盧遮那)

大日如来=摩訶毘盧遮那

=大毘盧遮那(経題は大毘盧遮那となっている。)


「大」が付くというところが世間の太陽(日)との違いであり、その理由の1つが、昼夜内外の別なく…などなど、無条件に例外なく。という点。


⚪️ 大毘盧遮那成佛經疏卷第一

沙門一行阿闍梨記


入眞言門住心品第一


大毘盧遮那成佛神變加持者、梵音毘盧遮那者、

是日之別名、即除暗遍明之義也。

然世間日則有方分。若照其外不能及内。

明在一邊不至一邊。

又唯在晝光不燭夜。如來智慧 日光則不如是。

遍一切處作大照明矣。無有内外方所晝夜之別。


大日経疏 第1巻

沙門 一行阿闍梨 記す


真言門に入る住心の章 第1


「大毘盧遮那成仏神変加持」というのは

梵音(サンスクリット語)の音の毘盧遮那(ヴァイローチャナ )は、太陽の別名、つまり除暗遍明(暗闇を除いて遍く明らかに照らす)の意味である。


然(しか)るに、世間の日(太陽)は即ち方分(方角や部分)があって、若(も)し(太陽が)外を照らせば、内側には光は及ばず、光は一辺に在って、他の一辺には至らない。

また、ただ晝(昼間)だけ照らして、夜は照らさない。如来(毘盧遮那如来=大日如来)の智慧の日の光は如是(かくのごとく)に不(あら)ず。(そのようではない)

一切処(全てのところ)に遍いて、大照明(偉大な輝き)を作(な)す。

内外、方向と場所、昼夜の区別、あることなし(が全く無い)。

除暗遍明



復次日行閻浮提、一切卉木叢林、隨其性分各得増長。世間衆務因之得成。

如來日光遍照法界。亦能平等開發

無量衆生種種善根。乃至世間出世間殊勝

事業。莫不由之而得成辦。


また次に、太陽が閻浮提(この世界)を行く時には、全ての植物は、その性分に随(したが)って各(それぞれ)増長することができ、世間の衆務(世の中のものの様々な働き)は、之(これ…太陽の光)に因(よ)って成ずることができる。

如来の太陽の光も遍く法界(真理の世界)を照らして、亦(ま)た、全く平等に量りしれないほど多くの衆生の様々な善根を開発し(かいほつ:導いて)、乃至(ないし)、世間と出世間の殊勝(ことにすぐれた)事業(働き)は、これ(如来の光)に由(よ)って成弁(成し遂げ)られないものは何もない。

能成衆務



又如重陰昏蔽日輪隱沒、亦非壞滅。

猛風吹雲日光顯照。亦非始生。佛心之日亦復如是。雖爲無明煩惱戲論重雲之所覆障。而無所減。究竟諸法實相三昧圓明無際。而無所増。


また、重陰昏蔽し(雲が重なって陰を成し)、太陽が隠れてしまっても、(太陽が)壊滅してしまったのではない。

猛風が雲を拭き払えば太陽が顕(あらわ)れ照らすが、(それは太陽が)始めて生まれたのではない(ように)、(智慧に満ちた)仏心の日も亦(また)それと同じである。無明煩悩や戯論の重雲の為に覆障せらるると雖(いえど)も、(無明による煩悩や、物事を分別してとらえる戯論の厚い雲に覆い遮られても)、減少することなく、全ての存在の真実の姿(諸法実相)の瞑想を究竟(徹底)すれば、円明(見事で完全なこと)は際限がないが、而(しか) も(それ以上に)増加することもない。

光無消滅


以如是等種種因縁、世間之日不可爲喩。

但取其少分相似故、加以大名。

曰摩訶毘盧遮那也。


このような種々のしかるべき因縁(理由)を以って、世間の太陽とは喩えとすべからず(比較にならない)。

但(た)だ、その少分(わずかに)相似(似ている)点を取っての故に、「大(マハー:摩訶)」の名を加えて、摩訶毘盧遮那と曰(い)う也(なり)。


大日経疏一部抜粋、以上。


光明、徧く十方世界を照らして、念仏衆生を摂取して捨てたまわず」(聖典一・三〇〇/浄全一・四四)は真仏の摂取であり、この真仏と共に三六万億の化仏が十方世界念仏衆生を摂取するとしている。


仏暦2566年8月9日午後10時30分記載


聖道浄土門にて報身阿弥陀仏の名号南無阿弥陀仏の他力功徳の法を持って南無妙法蓮華経の自力功徳の法の妙法は真仏一念にて自利妙力を利他に回向し一切衆生を摂受不捨し即身成仏を成し浄土往生を為す。


仏暦2566年8月9日午後12時確定

8月10日午前12時06分記載完了

名身名号午前12時30分記載完了





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