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  • 執筆者の写真大日如来

彷徨い迷う心晴れる秋の空

青木ヶ原の樹海を彷徨い

歩く心は生きる屍

幾多の屍見送る我が身

念仏唱えて樹海を歩く

磁石も動かぬ方位を

直感頼り歩き進む

見上げる空に聳える

大日の山

不二の山

富士山を見ては

不死不生の有無から離れ

山頂を目指し

陰を歩く旅路は

頂上までの

道は遥か遠く

険しい旅

雨にも負けず

風にも負けず

宮沢賢治の唄歌う

旅路楽しや道の人


雨にも負けず

風にも負けず

雪にも夏の暑さにも負けぬ

丈夫なからだを持ち

欲は無く

決して瞋からず

何時も静かに笑っている

一日に玄米四合と

味噌と少しの野菜を食べ

あらゆる事を自分を勘定に入れずに

良く見聞きし判りそして忘れず

野原の松の林の影の

小さな萱葺きの小屋に居て

東に病気の子供あれば

行って看病してやり

西に疲れた母あれば 行って

その稲の束を背負い

南に死にそうな人あれば

行って怖がらなくても良いと言い

北に喧嘩や訴訟があれば

つまらないからやめろと言い

日照りのときは涙を流し

寒さの夏はオロオロ歩き

皆にデクノボーと呼ばれ

誉められもせず苦にもされず

そういう者に

私はなりたい


と想い行じた旅路の

山頂から見下ろす❤️は

涅槃の心

心微笑む

大日の陽

天照す空のもと

振り返り想う道


長い人生にはなあ

どんなに避けようとしてもどうしても通らなければならぬ道というものがあるんだな

そんなときはその道を黙って歩くことだな

愚痴や弱音を吐かないでな黙って歩くんだよ

ただ黙って

涙なんか見せちゃダメだぜ

そしてなあ

そのときなんだよ

人間としてのいのちの根がふかくなるのは


と云う

あいだみつをの道の詩に共感し

帰る心に鼻歌歌う

あいだみつをの別の道唄




暖かな秋の陽だまり

受ける風には冷たさ感じ

束の間の休息

想い返る

我が道

我が人生


令和五年十月二十日

午後十三時七分より

午後五時四十二分


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