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  • 執筆者の写真大日如来

暴力を捨て去った。

涅槃の時にふと私の十代を思い出した。

当時の日本は何故か暴力で溢れていた。

私が中学二年生頃だろうか、新聞やニュースでは連日の様に中学生による校内暴力で賑わっていた。

当然に私の学校も連日の様に誰かしら暴れていた様に思えた。

街を歩くと、正面から来る相手とすれ違いざまに「目」が合うとそれだけで「ガンつけた」と「因縁」をつけられて喧嘩になることが日常的だった。

十五歳頃の夏に伊豆白浜に友達数人で遊びに行った。

ふと、脇を見ると一緒にいたはずの友達の姿が見当たらず周りを見回すと、

友達らしき男が数人の男に囲われる様に見えた。

近ずくといかにも不良の男たちだった。

一人はバッドを片手で持ち、いつでも降りかざせる態勢に一瞬焦った。

友達が私の気配に気がつくと助けを求めた記憶がある。

そして、私は駆け寄り何とか友達を助けようと考えながら

言葉の小競り合いをしたと思う。

「てめーどこのもんだよ」みたいな言葉の応酬である。

「やんのか?」の返事次第で喧嘩になる状況で、

私は、何とか共通点がないか話題を投げかけた。

すると「在日韓国人」と言う話でお互いが一瞬でまとまり敵意と恐怖はすぐ消えていた。

この経験から私は何とか喧嘩に発展しない様に喧嘩の売り買いをする様になった。

高校へ入学の数日後に廊下を歩いていると前から体格の良い男が睨む様に歩いてきた。

私も入学早々舐められたらいけない...と思い睨み返した。

案の定言葉の応酬が始まった。

同じとしと思って喧嘩を買ったが、何と三年生だったのだ。

後に引けずにいると、放課後に近くの公園でタイマンだ!と言い放たれた。

私は正直、喧嘩する前から意気消沈していた。

明らかに体格が違うのである。

約束の時間は近ずく。

行かないで逃げるか、行くか。

いくか。しょうがねえ。と自分を鼓舞してビビる姿を見られまいと必死だった。

時間に公園に行くと五十人ほどだろうか。

例の三年生の仲間達で公園は溢れていた。

私は連れ二人とすくむ足を誤魔化しながら歩いた記憶がある。

大勢に囲まれての決闘が始まってしまった。

「はぐらかし」をする間もなく試合開始となった。

明らかに腕の太さが違うのが分かる筋肉質の男が掴む胸ぐらは力強く私を地面に倒した。

すぐに馬乗りにされパンチが顔面に入る瞬間に相手の動きが止まった。

恐怖が体を走るのを隠すのが精一杯だったと思う。

状況が掴めずにいると「お前根性あんな」みたいな言葉を言われた。

喧嘩は弱いが「根性」だけは認められた様だった。

しかし、この経験を機に闇雲に喧嘩を売ることはしない様にしようと思ったと記憶している。

その後私は歌舞伎町のディスコでも友達を助けようと割って入ったところアッパーをくらい記憶を飛ばす出来事が起きた。

痛みや記憶はなく、恐怖も敗北感も記憶には何も残っていない。

しかし、殴られ記憶を飛ばされる事を改めて想像するとやはり恐ろしく恐怖を覚える。

小学生の低学年くらいまでは育ての両親からの躾として日常的に私は打ちのめされていた。

今となっては理由は覚えていないがとにかく両親が怖かった。

そして何より恐怖を覚えたのは夫婦喧嘩だった。

育った家庭では夫婦喧嘩も日常的だった。

母は大声で泣きさけび青あざを見せながら私に助けを求める様に感じた。

この様に私が育った環境には暴力が溢れていた。

私の人生において女性に対して最も苦しい体験をしたのは「暴力」だった。

それ以来、私は暴力に対して実行する自分が怖くなる反面その後何度か女性との口論や大声で怒り狂うことが日常化していた。


三五歳くらいに池袋の路上で傘が私にあたり、瞬間で私は激昂し相手を路上に押し倒してしまった。怒りが一瞬で暴力となった初めての出来事に自分が唖然としていると倒れた相手の体は動かなく状況的に「逃げた方が良いよ」と見知らぬ人に言われ逃げ去った記憶がある。


この様に「暴力」について考えていた時に、何だかアメリカで見るギャング世界の様に思えた。

わまりは常に「暴力」で溢れ恐怖に怯える環境。

もしかしたら、アメリカ全体がそうなのかもしれない...とも思えた。


自分の身は自分で守ると言うガン社会と聞く。


すると、キリスト教の分裂争いやヨーロッパ内の戦争などが思い浮かんだ。

長い歴史の中で「暴力」が溢れ「恐怖」がつきまとう環境。


私の育った環境と共通点が見えた時に体の力が抜けた様に思えた。

私たちが経験した事には「意味」があったのだと。

あの「古かった」世界を共有して「捨て去る」のだと感じた。


そして、「暴力」と捨て去る為にこの文字を書いた。

新しい世界は「暴力」「支配」などありません。

私の経験からそれらに苦しめられたから...


身を以て体験したので私たちの国では必要ないのです。



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