約20年ほど前にモーゼの十戒のDVDを何気なく借りて見た。その後旧約聖書などを読んだりした。
それは仏法の書を読んだ後の事であった。順番こそ違うがほぼ同じ時期にそれぞれと出会った。
DVDの印象としては知らなかった過去の物語りを映像で見る事により身近に思えた。奴隷となった仲間たちを救い出す姿に感動の様な思いを起こしたことを覚えている。出エジプト期はその後リメイクされた異なる映画が上映されたがワクワクした気持ちで劇場に向かったことを思い出した。
具体的に神を祈ったのは約15年程前に中国瀋陽に行った時に占い師かシャーマンかに当時赤い布を渡された。持ち帰りそれを焼いて灰にしたものを水に入れ一月ほど毎日口に入れ飲み簡易な神棚に向かい祈りを捧げた。
同胞と仲間達が共同体として豊かで幸せに暮らせる社会作りに関わっていきたいと言う文章を書き記した紙をその神棚に置き日々祈りを捧げた。2008年9月15日のリーマンショックの前の年の夏にかけての頃だった。
具体的は神のイメージは無かったがその後モンゴルのテングリを歴史書で知り中夜空を見上げながらテングリを想った。
ゆっくり流れる雲が龍や馬群に見えたことを思いだした。
その後南半球のバヌアツ共和国へ旅行に行った時、見上げる雲がイエスの姿として見えたことを覚えている。
帰国の日、身支度している時に英語の聖書を見つけ手に取りおもむろにページを開き目に付いた文字列を気に入って切り取って持ち帰った。意味はわからないがアルファとオメガと書いてあった事は認識していた。
おもむろに開いたページのおもむろに目を止めた文字列だった。
2010年か11年の夏ころに単身でワンルームマンションを借り暮らし始めた。
ある日エホバの証人の方が来て冊子を受け取った。
イエスの行いに関する話しに何処となく自分の過去の行いと重複して思えたことを覚えている。
当時は瞑想をする事が日課となっていた。仏教の影響であった。
その年の12月末頃に覚醒した状態で瞑想した。
絨毯の柄が無数の小さな仏として無量に現れた事を覚えている。
そして仏とイエスの神を想いながら瞑想した。
目を閉じた暗闇に大きな光の輪を背にした大きな仏の姿がはっきり浮かんだ。
占い師かシャーマンかの女性が言っていた事を思い出した。
龍が私の元に来るのかいるのか忘れていたがその言葉の意味を本日シュメールの神々の化身だと理解し象徴である正統な王権を正しく受け取った。
仏暦2566年9月8日
午後6時51分記載終了
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